現代文の授業です。

 さて、質問です。

 

 「現代文とは何を目的とした科目なのですか?」

 「現代文のいう科目は何のためにあるのですか?」

 

お答えします。「文脈を把握し、筆者の伝えたいことを理解する技術の向上のために存在します。」

    

 では、「文脈」とは何ですか?

お答えします。「因果関係」です。

    

 では、「因果関係」を把握する方法は?

お答えします。動詞を時系列に纏め、その中から「原因」と「結果」の関係性を持ったコンビネーションを抽出すればいいのです。

 

 概して、現代文の授業では、「しかし」などの接続詞を探して、意味をまとめることを要求されることが多いですが、小学生から始まって高校3年生まで一貫して変わらないというのはおかしくありませんか。数学(算数)に置き換えればわかりやすいでしょう。小学1年生ならば「1∔9=」という問題でもいいかもしれません。でも高校3年生のクラスでやりますか?高校生の授業内容と小学生のそれは違うのがあたりまえのはずです。しかし「現代文」の授業では、ほとんど内容が変わらないのです。

    

 そこで、当教室では改革案を提案します。高校生向けの「現代文」はこうあるべきです。

 

1句読点の利用法

2各文章間の方向性は3つだけ、すなわち「接続詞」だけに頼るのではない読解方法を採用すべきだということです。

3要約(これが一番大切)

 

 句読点の利用法とは?

 例えば以下の文(小林秀雄)の大意を瞬時につかめますか?

 

「あるがままのものをそのまま喜んで受け入れる精神を尋常な精神とすれば、そういう喜びを否定し、与えられたものを享受するかわりに、これを分析し解体し、さまざまに解釈しなければ気のすまぬ精神は、危険な病的な精神である。」

 

 読点(,)の機能はある一定の情報をまとめることにあります。そして読点の直前の詞はその情報群の特徴を示すケースが多いのです。

 

 ですから、上記の文を

 「・・尋常な精神とすれば、・・否定し、・・享受するかわりに、・・解体し、・・精神は、危険な病的な精神である。」

 

と解釈され、文中で重要なのは「主語」と「述語」ですから、「主語」を示す助詞「は」「が」のついたものを探せばいいとなります。

     

 「(ここに示されている)精神は、危険な病的な精神である。」とまとめることが可能になります。

 

 当然、これだけの情報では、全貌を理解するのは難しいです。そのために各文章間の繋がりを読み解いていくわけです。

「国語」で価値ある本はこの2冊だけ。あとは意味なし。(私見)