「おいくらですか?」
”How much?"
多少銭?
でも発音が難しいので
関西のおばちゃんを見習って「なんぼなん?なあ、なんぼ?」
と言ったほうが伝わるかもしれません。
教育に携わるものとして危機感を感じることがあります。例えば、「現在の日本の最大の貿易相手国はどこですか?」という質問に答えられる小中学生はどれほどでしょうか。答えは「中国」です。「アメリカ」ではありません。国際感覚以前のレベルでしょう。世界で何が起こっているかについて知らなすぎませんか。さらに現在、学習要綱の変更で「世界史」が消えかっています。
かつて日本はアメリカと戦争をしました。その時教育現場では「鬼畜米英」というスローガンの下に「敵国の言葉は覚える必要なし」という価値観が流布しました。そして、最後はその教え子たちに爆弾を抱えさせて自殺を強要しました。もはや教育とは呼べるものではありません。
現代社会にあって中国語は、勉強する必要はないのでしょうか。中国語よりも「古文」のほうが優先順位が高いのでしょうか。「古文」は死語です。もう、これ以上進展しない言葉です。データーベース化して、必要ならアクセスできる技術だけ教えればおしまいだと思うのですが、教育業界の重鎮はそうは考えていないようです。過去の遺物に過ぎない「古文」にしがみついて、現在進展し、発展している中国との関係性の重要性を無視する姿勢に危機感を覚えます。
仮に、政府が言うように中国が友好国ではないとしましょう。そうであれば、なおさら相手の動向を正確に知る必要が生まれるでしょう。何せ信用できないのですから、用心するのは当たり前の行動となるはずです。でも、言っている言葉がわからなくて、どうやって用心すればいいのでしょうか。