霊峰富士山
川越市の歴史
元明天皇の命により大安万侶が編纂した「古事記」に「无謝志」として掲載されています。これで「むざし」と読みます。和同5年、712年の編纂なので、史書としては約1300年前まで遡れます。
その後坂東平氏の流れを汲む秩父氏が武蔵国内の武士をまとめ、そして嫡流である河越氏が現れます。平安時代のころのことです。河越氏の形跡は、建立したとされる養寿院が川越市内に現存しています。その後、鎌倉時代末期、世相の混乱の中一家は没落していきました。但し、「河越城」という強固な城に名前が残り、江戸時代に入ると徳川家康の命で「武蔵三藩」を築かれ、江戸の防衛に当たりました(川越、忍、岩槻)。1594年のことです。大政奉還以降は、大正14年に田面沢駅が、池袋を起点とした路線の終着駅として設置されました。現在の川越市駅付近です。因みに1914年は第1次世界大戦勃発の年です。現在の川越駅は翌年1915年に設置されました。