英文解釈教室 伊藤和夫(駿台予備学校)

 

 私の命の恩人の本です。高校時代は劣等生でした。ただ学校に行って、席に座り、黒板の前で教師が何か話しているのを眺めているだけの毎日でした。教師からは「あんな馬鹿にはなにを教えても無駄だ。」と陰口をたたかれていました。大学受験に失敗し、浪人生活が始まりました。予備校の費用が捻出できなかったので新聞奨学生の生活も同時に始まりました。

 高校時代、徹底的に頭に刷り込まれたことが一つあります。「お前は馬鹿で能無しだ。」ということです。予備校に指示されるままに購入した本の中にこの本がありました。「分厚い本だな。」これが第一印象でした。ページを開けました。驚くべきことが起きました。読むことを止められないのです。一気に半分くらいを読みました。「なんだこれは?」本当にびっくりしました。勉強とは暗記ではなく理解だったのです。人の人生を変える力を持った本です。

 


我が家から左手に広がる風景です。残念ながら雲がかかって見えませんが、この方向に富士山があります。なだらかに流れる川と田園、そして見上げれば富士山という江戸時代から、否もっと前から続く川越の風景です。

霊峰富士山

川越市の歴史

元明天皇の命により大安万侶が編纂した「古事記」に「无謝志」として掲載されています。これで「むざし」と読みます。和同5年、712年の編纂なので、史書としては約1300年前まで遡れます。

その後坂東平氏の流れを汲む秩父氏が武蔵国内の武士をまとめ、そして嫡流である河越氏が現れます。平安時代のころのことです。河越氏の形跡は、建立したとされる養寿院が川越市内に現存しています。その後、鎌倉時代末期、世相の混乱の中一家は没落していきました。但し、「河越城」という強固な城に名前が残り、江戸時代に入ると徳川家康の命で「武蔵三藩」を築かれ、江戸の防衛に当たりました(川越、忍、岩槻)。1594年のことです。大政奉還以降は、大正14年に田面沢駅が、池袋を起点とした路線の終着駅として設置されました。現在の川越市駅付近です。因みに1914年は第1次世界大戦勃発の年です。現在の川越駅は翌年1915年に設置されました。